Honolulu,Hawaii
  (12/1/1999〜12/5/1999)


実家は兼業農家で、両親は勤めから帰ってからも農作業でず〜っと働きづめでした。父は、若い頃からの無理がたたってかなり身体がしんどそうでしたが、リタイヤしてからは、悠々自適の生活で、農繁期以外は気の向いたときだけ大工仕事をして過ごしていたいました。母は引退した後も趣味にボランティアに精力的に活動して、24時間フル操業状態です。が、この年の夏あたりから急に父の元気がなくなりました。母が年々パワフルになるのと対照的で、父の気力は消えかけているように見えました。
まだ65歳、一般的には老け込むようなトシでもないのですが、今にも消えてしまいそうでした。慌てた私は、何か刺激になることはないかと考えました。すぐに思いついたのが、海外旅行です。「どこか行きたいところはない?」って聞くと、最初は、「どこにも行きたくない。」という返事でしたが、しばらくして「誰でも行ったことがあるハワイにでも行ってみるかな。」って言われたので、即実行と相成りました。
主人を誘いましたが、短期間でしかも日本人が多すぎるホノルルは嫌だと断られ、観光嫌いの主人と海で泳ぐとも思えない両親が一緒の旅行が成立するとも思えず、なつめぐには留守番をさせて、今回は私と両親だけで行くことになりました。
主人に唯一言われたことは、「招待なんだから、親にお金を出させないように。」って事です。読まれてるな〜。旅費だけ出したら、現地の食事代とかオプション代とかは払ってもらっても良いかな〜なんて思っていたんですが、それじゃぁ招待にならないって事ですよね。心を入れ替えてさぁ出発!!

12月1日18:05広島空港発 日本航空096便
12月1日06:15ホノルル着

着後、DFSギャラリア内の「アロハ・ステーション」で、説明を受け、早速小腹が空いたと両親がぼやくので(機内食は好みでなかったみたいです)、高くてまずいうどんを食べました(着いてすぐに日本食です、先が思いやられます)。
宿泊ホテルは、かなり無理をして良い場所を確保しました。
ハイアットリージェンシー・ワイキキ、高層階のオーシャンピーです。
父はとくにこの場所を気に入り、部屋に帰ってはラナイから外を眺め続けていました。
向いのホテル、「ロイヤルハワイアン」の車寄せがよく見え、次々にリムジンに乗ったハネムーナー達が降りてくるさまを、「また来た。」「今度のリムジンは長いで。」「また来た。」って子供のようにはしゃいでいました。、
どこに行きたいかを聞くと、パールハーバーと「この木何の木きになる木、名前もしらない木ですけど〜・・・」って木を見たいとリクエストされたので、オアフ島半日観光に参加しました。
2日は、JCBのトローリーバスを乗り継いで、買い物三昧でした。
3日サンセットディナークルーズにも参加しましたが、これは不評でした。
魚釣りもして、日没後の花火も海から見れるので良いと思ったのですが、魚は釣れないし、テーブルの配置にゆとりがなくて、楽しくなかったようです。
ビーチは、4日の朝ちょろっと歩いただけです。
今回の旅行は両親がメインなので、行く先々で両親の写真を撮ったものの、1冊にまとめて旅アルバムを作りプレゼントしました。
そのため、私が持っているのは絵はがきのみになり、あまり参考写真がなくてゴメンナサイ。
12月4日09:40ホノルル発 日本航空095便 
12月5日14:20広島着

3泊5日の旅行の終了です。

この旅行後、父はすごく元気になりました。「次は、中国がいいな。」って暗に要求されましたが、私が連れて行くのは遠慮します。
主人は、色々文句は言っても、全て自分でできるからほっておくことが出来ます。
でも、両親はどこに行くのも付いて行って説明したり、交渉したりしないといけないので気が抜けません。
なつめぐは手がかかるけど、命令することができます。そして、不満だったとしても従ってくれます。
でも、両親は聞いてくれません。トシとともに我が儘になっており、お腹が空けば「今食べたい。すぐ食べたい。」「それは嫌だ。」「これは食べたくない。」好みがうるさい。
疲れれば、予約しているディナーとかツアーも「行きたくない。」と平気で言う始末。折角両親の為にとセッティングしたのが無駄に終わったことも多々ありました。
添乗員さんのつらさが解るような気がしました。
私は大変でしたが、両親はとても喜んでくれたので、まぁ成功した旅だと思います。

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